Written in Japanese
姫と毒とクニマス
秋田には3つの湖がある。一つは青森との県境にある十和田湖。今はなき八郎潟。そして田沢湖。言い伝えでは、十和田湖を勝ち取った修験者南祖坊(なんそぼう)、南祖坊に負けて海沿いに流れ落ち八郎潟を作った八郎太郎龍、永遠の美しさのために龍となり、のちに八郎太郎と恋に落ちる辰子がこの地を作ったそうな。これを三湖伝説という。そして、龍になった辰子を悲しんだ母が投げた薪が魚となったものが国鱒とされる。
時ははるかに流れ、1940年、中国とは戦争中、世界大戦も足音が聞こえる頃あいだ。この時世の流れに巻き込まれ、田沢湖から国鱒が消えた。70年の時を経て、2010年に富士山ろくの西湖に突如、現れた。国鱒が消え、再び現れるのには、悲しくも尊い現代の国作りの物語がある。語り継がれたし。
まずは、湖のいわれから話を始めよう。
”むかし、田沢湖の近くに、辰子という娘が母と二人住んでおった。ある日、山の神の声が聞こえ、そなた、美しさを永遠(とわ)に、という。それから辰子はみるみる美しくなり、田沢湖の姫と呼ばれるようになった。
辰子は自分の美しさを永久に失いたくないと思い、湖畔の観音様に願をかけた。観音様は満願の日に、泉の水を飲むように告げた。辰子はお告げに従ってひそかに山を越え、谷を渡り泉を求めた。途中、雨や風や草木が行く手を阻んだ。
辰子が渇きを覚えると泉にたどり着いた。泉の水を飲んだところ飲めども飲めども渇きはやまず、あたりには雷鳴とどろき、山津波が起こって、大きな湖ができた。そして、辰子は龍になっていた。
辰子の母は、娘が人間界に帰れぬ身となった口惜しさに、燃えさかる薪を湖水に投げつけて慟哭(どうこく)した。この薪が鱒(国鱒)になったと伝説にいう。”
―日本昔話データベース『辰子姫物語』、三輪茂雄著『鳴き砂幻想』、 湖畔に掛かる辰子伝説瓢等より、筆者が大胆に創作 ―
国鱒のふるさと、田沢湖の近郊には毎分の湧水量が8,400リットルにおよぶ。これは、42軒分の風呂桶の水量となる(1軒200リットル換算。1分で42軒分。まさに龍神)。これが日本国内有数の酸性泉、玉川温泉の水源がある。この温泉水はPH1.3で国内最強の酸性水でもある。傷口を漬けるとピリピリと痛む。この強酸性の温泉水こそが我々に試練と未来を与える自然の恵み。そして、その流れには浮かんでは消えるの国鱒の幻(まぼろし)があった。
玉川毒水(酸性水)の歴史
国土交通省のホームページに記載されている歴史を見てみよう[一部、筆者が加筆修正を( )で加えた]。
(秋田県北部を流れる)玉川の上流部にある玉川温泉の大噴から流れ出す強酸性泉は、玉川の水を酸性に変え(ました)。(後述する旧建設省による)中和処理施設の運転開始前には、玉川ダム地点でのpHは土木構造物に影響を及ぼさない限界とされるpH4.0を下回り、農業用水の取水地点である神代ダムの下流地点でも農業用水基準のpH6.0~7.5が確保されない状況でした。 (中略)
(1)最初に行われた対策は、今から約160年前(1841~1852年)に秋田藩主佐竹公の命による、角館の藩士田口幸右エ門父子(たぐちこうえもんおやこ)及びその家来平鹿藤五郎(ひらかとうごろう)による毒水排除工事でした(当時、上流からの 雨水と酸性蒸気の混合を制御する水路を作り、沈殿池で土砂と混ぜることで酸性を低下させようとしたと伝わる。強酸性の熱水中での作業は桶を長靴のように履いて行ったという。工事の効果を、単位面積当たりの収量増加、耕作容易化による人件費低減、鎌や鍋などの金属類の腐食回避等に求め金額換算して提示している。当時の科学的、経済的視点の深さに圧倒される)。
(2) 明治以降は、秋田県等により対策が試みられ(中略)、ある程度効果がありました(この間、噴泉の4倍程度の地下水の影響が提示されている)。
(3) 昭和14(1939年)年には、電源開発と農業の振興を目的とした「玉川河水統制計画」が策定され、玉川の水を田沢湖へ導入し希釈する方法が実施されました。[玉川河水の田沢湖導水開始は昭和15年](これが田沢湖を酸性化させ、国鱒をはじめ多くの魚類、貝類の死滅につながったとされる)。
この方法による酸性水対策は、秋田県と東北電力により継続して実施され、当初は一定の効果をあげたものの、田沢湖の酸性化等により玉川の水質も(ふたたび)低下してきました。この為、昭和47(1972年)年より秋田県が東北電力の協力を得て野積みの石灰石に酸性水を散水し、中和させる簡易石灰石中和法による対策を行いました。
(4)しかしながら、これも十分な対策とは言い難く、地元及び秋田県より国に抜本的な対策の強い要望が出されました。この要望を受けて5省庁(農林、通産、自治、環境、建設)により検討委員会が開かれ、当時ダムを建設中であった旧建設省が、酸性水がコンクリートダムに与える影響が大きいことから、玉川ダム事業の一環として、玉川酸性水対策に取り組むことになりました(これによって建造されたのが 中和処理施設)。
現在では、先人たちの様々な対策の苦労により、水質も徐々に改善に向かっており、田沢湖ではウグイ等も生息してきています(以上、引用を若干改変、補足した。経緯は、「玉川毒水 蘇る命の水」に詳しい)。
田沢湖では酸性環境に強いウグイの生息は確認されているが、他は放流された鮒が一部生息するのみとなっている。ウグイは環境適応力が高く、水質の良くない河川の生態系に君臨し、巨大化している。実際、巨大ウグイのフィッシングが一部マニアの間で人気となっている。ウグイもまた悲しい運命の魚なのだ。
国交省の記載にあるように田沢湖の水質は徐々に中性に近づいているが、それは表層部の状態である。中水域、湖底域では、まだ酸性度が高い。また、表層部でもカルシウムが高濃度に残留し、湖底には中性化のために使われた石灰が堆積し始めていると言われる。
国鱒物語
玉川の水が田沢湖に引かれる直前、1930年、1935年に全国の湖に国鱒の卵が配布されている。山梨県の西湖には1935年に10万粒の卵が送られた。
秋田県では1990年代に生き延びた国鱒の探索に懸賞金を賭けた。賞金は、最初は100万円、最後には500万円に高められた。当然、全国の漁師や、釣り愛好家、賞金稼ぎが発見の名乗りを上げたが、検証されなかった。
西湖では「クロマス」と呼ばれる魚種が捕獲されており、美味として評判を得ていた。この「クロマス」が国鱒であることが確認されたのが2010年ということだ。国鱒は活発な魚ではなく湖底でじっとしていることが多いとされる。つまり国鱒は弱い魚である。西湖では肉食のブラックバス等の魚種と生息域が重ならなかったことで生存できたのではとされる。なんという幸運。
ここからは、国鱒の未来の物語だ。未来の物語にも辰子がおり、 幸右エ門がおり、龍になり、泥にまみれて紡がれる。
地元民の宿願となっている国鱒の田沢湖への帰還には、酸性度が高い田沢湖の中性化が必要となる。 しかし、石灰を利用した中性化には限界がある。これを乗り越えるのに、微生物の力を借りる方法がある。
Union Press 社刊行の『科学・技術研究 第7巻1号 2018年』に東京海洋大学浦野直人氏、長岡真太郎氏、岡井公彦氏の論文が掲載されている[強酸性環境を中和する酵母]。 要約を見てみよう。 一部、筆者が( )で加筆し一部割愛した。重要な論考ではあるが少々、難しいので、図の下まで読み飛ばすのがよいだろう。結論は、酵母で、ある程度の酸性は中和できるということだ。
(本論文)筆者らは強酸性水圏由来の微生物群から、生息環境を中和する機能を持つ新奇酵母(”アルカリ化酵母”と称する)を発見した。
日本では、群馬県草津地方の吾妻川上流や秋田県仙北市の玉川上流等pH 1-4の強酸性淡水圏が点在しており、(酸性)水圏では通常、多細胞生物(魚介類や植物など)の生息は観察されない。筆者らが単細胞生物の生息調査を行ったところ、原核生物(細菌)は検出されず、真核生物(酵母)が主たる微生物相を形成していた。単離した酵母は、全てpH 1-3の強酸性下で増殖可能な耐酸性菌であり、それらの中にアルカリ化酵母が存在した。アルカリ化酵母を酸性培地で培養すると、細胞がアミノ酸のアミノ基を切断してアンモニウムイオンNH4+を放出することで、酸性液を中和していることがわかった。
次に、一般の中性淡水圏にてアルカリ化酵母の探索を行ったところ、単離した耐酸性酵母の9.4 %がアルカリ化酵母であった。酵母の28S rDNA D1/D2ドメイン塩基配列解析(これは解説のしようがないです。酵母やカビではこういうDNA解析をして、同じだとか違うと判定するようです)を行ったところ、中性水圏由来のアルカリ化酵母中に、筆者らが強酸性水圏から単離して登録済の塩基配列と同一の配列を持つ株が複数存在した。これらの結果から、アルカリ化酵母は強酸性水圏に偏在するのではなく、中性水圏にも広く生息すること、そして両水圏由来のアルカリ化酵母とも、酸性環境下にて水を中和する機能を発揮することがわかった。
更に、アルギン酸ゲルビーズ(ジェルのような柔らかい極小のツブツブ)に包括したアルカリ化酵母をカラム (管のようなもの) 内に充填して、酸性水(pH3.6)を流入したところ、酵母が中和水(pH7前後)を連続的に生産した。この中和水をゼオライト(多孔質の吸着性を持つ物質。分子ふるいともいう)充填カラムに通したところ、pH 7近傍を維持した状態で水中のNH4+濃度を著しく減少させた。(論文本文中にはアルカリ化酵母の働きを弱めるアルミニウムの吸着も同じく可能なことが記載されている)。こうして、強酸性水から環境に優しい中性水を製造できるバイオリアクター(生体触媒を用いて生化学反応を行う装置)を構築することができた。
論文筆者らは、 本方法では大容量の水を製造することはできないが、製造水を住民の生活水、養殖や農業などの産業水の一部として、利用することは可能と思われる、と結んでいる。
論文では、石灰等によってある程度酸性を抑えた状態 (pH3.6) での実験が行われている。また、大規模に公募による中和を行う場合、酵母の食料である糖やチッソ(化学記号:N)等の確保も必要になり、それが水質に影響を与える可能性が高い。
また、もう一つ強力な試案として、強酸性水を使った水素の抽出も検討されている。玉川温泉の強酸性温泉水をアルミニウムと反応させることで水素を発生させるという方法だ。この水素の生成は、CO2が発生せず、現行の水素生成方法に勝るものとして注目されている。
微生物が湖を自然水に戻すかどうかは微生物が決めること。我々は彼らの声に耳を傾けることだ。彼らの声を聞かなくして自然の理にかなうことはできない。我々が、自然の声を聴く力を取り戻して、はじめて田沢湖の伝説、国鱒の帰還が果たされる。それに、強酸からのエネルギーの抽出が加われば、そこにはまさに「懐かしい未来」が広がる。
湖沼環境の未来
すでに海の汚染は甚大だ。一方、雨水が直接流れ込む湖沼の環境はまだ維持されているところが多い。湖沼においても、レジャーフィッシングや観光によって、自然環境は劣化の道をたどっている。本来は、豊かな水産資源を、適度に捕獲し、自然の恵みとして活用すべきだ。乱獲はもとより、行き過ぎた養殖も見直しが求められている。
水辺でのキャンプは爽快だ。世は一代キャンプブーム。しかし、清明な環境に排気ガスをまき、大量にごみを出して、環境に負荷をかけることは慎むべきだ。自然の恵みとともに生きていくことに立ち返らなくてはならない。
国鱒がもどり、自然漁法で漁師が生計を立てられる田沢湖が一つの湖沼環境の未来だろう。そこに、我々も生き、動物や植物も栄え、環境を整える無数の微生物がいる。我々も彼らとともに生きる、それが未来の水辺であってほしい 。
以前は、美しい湖畔の砂地を踏む足音が湖面に響き渡ったという。これを鳴き砂(Musical Sand)という。今、砂は音を奏でない。酸性中和のために流れ込んだ石灰が砂に付着したためではないかと言われる。
”田沢湖の砂浜は、昔から白浜といって名所になっていた。浅瀬がないという この湖に、例外的にただ一箇所、遠浅の砂浜があって、それが石英砂だった。斑晶石英という岩石が永い間に風雨によって分解し、細かい微粒子になって湖岸に堆積したのだという。浜は渚から湖水にかけて、その石英砂が敷きつめられ、 静かに光って、湖水の澄明さは一層ひきたてられた。
白浜の岸近くに一軒の古い旅宿があって、風呂場が汀(みぎわ)に建っていた。歌人、結城哀草果氏は次のように歌った。
田沢潮の 水わかしたる 風呂桶に
白妙の砂 あまたしづみぬ ”
(千葉治平著 『山の湖の物語』(秋田文化出版、1978)より
水面を跳ねる国鱒が見えるようだ。
(文:懐かしい未来財団/柴田英寿)